雑誌とゲームと『湾岸ミッドナイト』でスカイラインを覚えた僕ら。そんな海外組が東京に着いて最初に思ったのは、「よし、歴代を全部撮って図鑑を埋めよう」だった。
東京ともっとも深く結びついたクルマといえば、やっぱり日産スカイライン。前回の旅では、見つけられる限りの世代を、あらゆる色、あらゆる仕様で撮りまくった。ミッドナイトクラブ系もいれば、トップシークレット系もいる。どれもカルチャーど真ん中で、どれもクリーンだった。
今回はあえて新しい順。現代のゴジラから、GT-Rの名が生まれた1969年まで、時代をどんどん遡っていこう。
【豆知識】今回登場する世代の早見表
- C10「ハコスカ」:1969年、GT-Rの名を世に送り出した元祖
- C110「ケンメリ」:「ケンとメリー」の広告キャンペーンが愛称の由来
- R30:GT-Rのエンブレムはないけど、レースに出た80年代の一台
- R32 GT-R:RB26DETTの直6ツインターボ+四駆。オーストラリアのメディアが名付けた「ゴジラ」
- R34:説明不要
- R35 GT-R:2007年、スカイラインの名を外して独り立ち
【現代のゴジラ】R35 GT-R
R35 GT-Rは2007年にスカイラインの名を外したけど、魂はしっかり残している。大径リムのホイールに攻めたエアロをまとったシルバーのR35たちは、周りに並ぶ名車たちに一歩も引けを取っていなかった。
【RB黄金期】R34とR32、夜の東京で
R32 GT-RはRB26DETTの直6ツインターボと四輪駆動を引っさげて登場し、ツーリングカーレースで勝ちまくった。その結果、オーストラリアのメディアに付けられたあだ名が「ゴジラ」。僕らが出会ったのは夜のゴールドのR32で、オフィスビルの光の下でギラッと輝いていた。
R34については、もう説明はいらないっしょ。イチョウの木の下で、ベイサイドブルーの1台を見つけた。
渋谷の光の下にはシルバーと白のR34。そして歩道にとめたダークカラーのR34と、手すりにもたれるオーナー。湾岸の美学が、そのまま現実になった瞬間だった。湾岸と聞いて血が騒ぐ人は、イサオ・ミゾタさんの328km/hのZ32とミッドナイトクラブの話もぜひ。
【忘れられがちな名機】80年代のR30
R30は、みんなが忘れがちなスカイライン。でも僕らにとってはお気に入りの一台だ。展示されていたのは赤黒ツートンのRSたち。
もう1台はボンネットを開けて待っていてくれた。日産はR30にGT-Rのエンブレムを付けなかった。それでもR30はレースに出たし、あの赤黒のカラーリングは80年代屈指の名リバリーだと思う。
【昭和の名車】ケンメリとハコスカ
ハコスカの後継、C110「ケンメリ」は、明治神宮外苑の並木道に白いクーペでとまっていた。銀座のNISSAN CROSSINGでは、青いクラシック・スカイラインが堂々と主役を張っていた。
そしてゴールは、すべての始まり。1969年にGT-Rの名を生んだC10スカイライン、通称「ハコスカ」だ。シルバーの1台は、明治神宮外苑のイチョウ並木の下を走っていた。LFAと2000GTが並んでいたBINGO SPORTSのウィンドウと同じエリアだ。もう1台は気合いの入った街道レーサー仕様。カーボンボンネットにビス留めのオーバーフェンダー、足元は深リムのワタナベ。これぞ旧車の正装。
【まとめ】スカイラインは日本のクルマ史そのもの
日本のパフォーマンスカーの物語を、始まりから今までこれ一台で語れる名前はほかにない。雑誌やゲーム、そして湾岸ミッドナイトでこのクルマに出会った世代にとって、生まれ故郷の道を走る本物を見るのは、何度見てもグッとくる。
ちなみに東京まで飛ばなくても会えるチャンスはある。僕らはニュージャージーでトミーカイラのスカイラインにも出会ってしまった。












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